映画「キングダム」に見る「光と闇」のこと


大ヒット上映中の映画「キングダム」
原作未読ですが、いやあ、素晴らしい…!!!
さっそくおかわり(2回目)してしまいました


秦の始皇帝による中華統一をテーマにしたこの作品
ビジネスにも有用らしく本も多く出版されているようですが
たしかにこの作品の発するメッセージは
単なる少年の成長物語や
諦めなければ夢は叶う!といったものだけではないな、と感じています
(原作は読んでいないので映画での話です)

ここでは映画「キングダム」を観て
わたしが感じたことを綴っていきますね


まず、わたしがこの映画を一言であらわすとすれば
「光と共に闇が光を目指す物語」

ここ数年スピリチュアル業界では
「2極化」「闇と光」という言葉を多く耳にしますが
この作品は「闇と光」をわかりやすく描いています

はじめにお断りしておきますが
闇だから悪いとか光だから良いとかではありませんし
わたしがここで使う「光と闇」は主に「魂の質」としてのお話です
例えるなら「わたしは女性、あなたは男性」といった
個体としての違いを分かりやすくあらわしている言葉だとおもって読んでくださいね


さて、この作品には2人の主人公がいます
奴隷から這い上がるために天下の大将軍を目指す少年、信
中華の統一を目指す秦王、政

このふたりを光と闇とで分けると

奴隷である信は「闇」です
秦王政は「光」
王族に生まれ、亡くなった父王に次いで王座についた「光の中の光」です

信は同じ奴隷であり親友の漂とともに
奴隷の地位から這い上がるためには剣(力)が必要だ
強くなって天下の大将軍になってやる、という夢を抱いて日々訓練に励むのですがこれは
奴隷(闇)から天下の大将軍(光)を目指しているのです

ここでの信と漂の特筆すべき素晴らしいところは
「自分が何者であるかをわかっている」点だとわたしはおもいます
当時の時代背景も大いに関係するのでしょうが
彼らは「天下の大将軍」という光を目指しはしても
「王」になる光を目指してはいない
それは彼らは「奴隷(闇)」であって「王族(光)」ではないからです

自分たちが奴隷(闇)であるからこそ
闇の中の最上の光である「天下の大将軍」を目指すことができる

これが自分の魂の質を見誤って
本来持っていないものを目指してしまうと
自分が苦しくなるのはもちろん、
いわゆる「勘違いした人」になってしまいますね

でも彼らはそうじゃない
自分たちの質を分かっているからこそ
そのなかでも最上の光を目指すのです
そのために彼らは剣の腕を磨く

それはまさにわたしたちが自己研鑽という名のもとに
心について学ぶだけでなく
目に見えない領域までを学ぶ姿と重なります


自分たちは闇だからといって
闇のままで終わることを良しとしない
闇の中の最上の光を目指すのが信(と漂)であるならば
王族に生まれつき王になった秦王政は「光の中の光」
彼もまた自分の魂の質をしっかりと理解して
光としての王道を生きています

王(光)として生きる道は
誰にも理解されない孤独な道です
作中では「修羅の道」と表現していますが
光として生まれた彼が行く修羅の道は
ただひたすらに光であり続ける道
中華の統一という
光だからこそ出来ることを成し遂げようとしています

戦乱のない世界をつくるためには暴君と呼ばれることも
後世に悪名を残すことも厭わない
自らの信念のためには
誰からの称賛も必要としないその覚悟
これは光として生きる彼だからこそ行くことのできる道であり
だからこそ臣や兵が彼を尊敬し、跪くのです
光にとっての「修羅の道」は
誰もが行ける道ではないことを皆知っているからです

王たるもの自分のためにいかに血が流れようとも
親友を亡くした信のようには声をあげて泣くことは出来ません
王ですから
すべての悲しみや苦しみ、そして悔しさも恨めしさもすべて飲み込んで
ひとり孤独に自分の信じた王道を行く
それが歩みを止めることの出来ない彼の道であり
そうすることが
自分のために命を散らした者たちへの弔いにもなることを知っているからです


政の夢と信の夢
比較してどちらが優れている、というものではありません
どちらも自分の命をよく理解したうえで
与えられた命を、魂の質を活かして
この生を生き切ろうとしている点で平等です
そしてお互いにお互いの魂の質の違いを認め合っているからこそ
お互いを尊敬し、尊重することができる

彼らは自分にないものを持っている相手を尊重こそすれ
比較したり自分を下げるようなことはありません
それは自分という唯一の命の尊さを分かっているからではないでしょうか


はじめにこの作品は
「光と共に闇が光を目指す物語」と書きました
これは
光の中の光、政と共に
闇である信が闇の中の光を目指す物語、という意味ですが

光はどこまでいっても光なんです
ただただ光である
その姿はとても美しく
どこまでも孤独
光は光であろうとはしません
だって光だから
光は光である、ただそれだけ
誰に理解されずとも
後ろ指指されようとも気にしない
だって光だから

そんな光を目の前にして闇は何を思うのか?
どうせ自分はどこまでいっても闇だし、と俯くのか
信(と漂)のように
光そのものになることは出来なくても
闇の中の最高の光を目指して生きるのか


魂の質が光であろうと闇であろうと
行く道にどちらを選ぶかは自由です
闇の方が迷いは多いかもしれませんが
しかしそれは嘆くことではなく
ただ魂の質がそうであるだけのこと


信は政と共に自らの光を目指す道を選びました
ふたりが行く道はそれぞれの「修羅の道」
共に肩を並べて歩める道ではなくても
「自分の魂の質を活かして生ききる」ことを同じ目的とする2人は同志なのです

光がただひたすらに
光であり続けることを「強さ」と呼ぶならば
闇が闇の中から光を見出し
最上を目指すのもまた「強さ」なのですから


映画「キングダム」
自分の魂は光なのか闇なのか
それを知ったうえでどう生きるか
2極化、そして光と闇について
強いメッセージを持った作品だとおもいます

2極化や光と闇については様々なことが言われています
いろいろな意見があるでしょう
しかしこれは
あくまでわたしが受け取ったメッセージとして
1つの意見として読んでいただけると幸いです


さて
あなたの魂は信と政
どちらの生き様に心が震えるでしょうか

これからの時代を生きるために
諦めなければ夢は叶う!
…だけではないこの作品のメッセージ
ぜひ感じ取ってみてくださいね


改めてお断りしますが、わたしは原作未読です
この記事では映画作品を観てのみ感じたことを綴っています
解釈が違う、原作とは違う等のご意見やご指摘があるかもしれませんが
先述の通りあくまで
「映画作品を観てわたしが受け取ったメッセージ」
としての感想であることをご了承ください











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The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes,but in having new eyes. --- Marcel Proust

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