国宝に尋ねた「国宝」のこと


これはもう1ヶ月近く前に書いた記事なのですが
なぜかUPしていなかったので
展示は終わっていますが公開します

つい最近もまた石切劔箭神社にて
石切丸を見てきたのですが
やっぱり何度見てもゾワっとする刀でした
不思議


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いつのまにかに
春日大社の刀剣展は
前期後期の展示替えを終えまして
わたくしはもちろん後期の展示にも行きましたので
計3回の刀剣鑑賞、堪能いたしました

刀剣鑑賞はど素人と言えど
分からないなら分からないなりに鑑賞を重ねると
好みの刀や刀工、刀派が出来てくるのが面白いですよ


わたくしはですね今回の展示の中では
童子切も良かったですけど
粟津家伝来の有綱の太刀と
友成の赤銅造太刀が特に好みでした
石切丸はいつ見てもゾクゾクしますし
箱根神社の薄緑丸も儚げで良かったなあ
義経の逸話のある刀ってどれもどこか寂しげに見えて気になります
北野天満宮の鬼切丸は、好き、の一言ではとても足りなくて
それからそれからそれからそれから…………
とやってると、キリがない!ので、この辺で!


さて刀工は同じ刀を何振も打って
出来の良いものを選ぶのだそうで
○○と名前のついた刀は(たとえば「○○丸」とか)一振ではなく
いくつも存在するとどこかで聞きました
(また聞きですので違っていたらごめんなさい)

それを踏まえて数々の刀を見ながら
じゃあ良い刀ってなんだろう?と思ったわけです


「国宝 童子切」
「重要文化財 鬼切丸」
「重要美術品 天光丸」
どれも安綱作の太刀ですが
「国宝」「重文」「重美」の違いは何なのか

文化的美術的に価値があると認められたのが国宝で、などの基準は
調べればすぐに分かりますし
刀の美しさの基準も調べればすぐに分かるでしょう

ただ、わたしの脳みそは残念なので
どれも同じ人が同じ時代に同じように打ったものならば
現存するものはどれも同じように貴重なはずなのに
その価値の違いはどこから来るのかなって
理解が出来なかったんです
出来の善し悪しや基準があるのは分かりますよ!
そうじゃないところでの
「良い刀」の定義って何なんだろう、と思ってしまった


分からないから聞いてみました、ご本人(童子切)に


失礼ながらわたしには
あなたと他の安綱作の刀との違いが分かりません
あなたが国宝と呼ばれる所以を教えてください、と
すると

「国宝になろうとして生まれたのではない」

と返事が返って来て
あっそうか!そりゃそうか!となりました
脳みそ、ほんとうに残念すぎる


次いで

では、あなたの思う「良い刀」とは何ですか?
ここにはたくさんの刀が展示されているけれど
刀または刀工から見た「良い刀」の基準とは?

と尋ねてみたところ


良い刀とは自分に正直に作られたもの
国宝にしようとして作られたものではない
どの刀も同じように作られたもの

人の想いが「国宝」を作った
「国宝」という名は人の想いの集まり

良い刀とは作り手の心が真っ直ぐに現れたもの
心が真っ直ぐでなければ良い刀を打つことはできない 


刀剣鑑賞ど素人わたしでも知っているのは
現存する安綱作の刀の中でも
最高傑作とされるのが、この童子切だということ
(かの有名な天下五剣てやつですね)

国宝が国宝たる所以は多々あれど
安綱がこの刀を打った時には
国宝を作ってやる!とも
これは国の宝になる刀だ!とも思わなかったはず
もしかしたら
これは最高傑作だ!って
自画自賛はしたかもしれないけれど、当時は実用品ですものね

現存していないだけで
他にも「最高傑作」はあったかもしれないし
「国宝」とはあくまでも後世の人間が評したものであって
生まれつきの国宝なんて、ないんだった



誰かの評価に依るのではなく
ただ自分に真っ直ぐありなさい
自分の中にあるものに正直でいなさい

良いものを作ろうとするのではなく
ただただ自分の心に真っ直ぐにありなさい


これはとある作業に没頭しすぎて
ちょっと煮詰まっていたわたしに響いた言葉

誰かに褒められたいとか
よく見られたいとか
意識していないつもりでいても
そういう気持ちはどこかに残っていたりする
でも、
あなたの作ろうとしているものは
そうじゃないでしょう、と窘められた気がしました


少なくともわたしは童子切や他の刀たちを
国宝だから美しい、と思っては見ていないわけです
1,000年も昔に打たれたものが現存している奇跡に
これだけ美しいから国の宝なんだろうなぁと思いはしても
国宝だから、重文だから、美しい、とは思っていないし
指定がないから美しくない、とは思わない

人の心を打つものって
誰かや何かの目を意識して作られたものではなくて
その人の個性がそのまま素直に現れたものなんだな、と思いました
石たちが美しいのだって
ありのままの個性でそこに「在る」からですものね
(宝石用にカットされた石はまた別です)


かつては実用品
いまは美術品
武器として生まれながら
現代では武器としての役目は果たさないまでも
わたしたちに彼らが伝えてくることは
まだまだたくさんありそうです

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The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes,but in having new eyes. --- Marcel Proust

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