「何にもならなくていいや」
これは2017年に旧ブログで書いた記事なのですが
ドゥニクリスタルのもなりさんからのご紹介もあって
とてもとても大きな反響をいただきました
(ありがとうございます!)
ここから2年の月日を経て紆余曲折在りましたし
わたしが世界を視る目も、当時よりもはるかに自由になりました
が、わたしの気持ちの大筋としてはいまも変わりはありません
この記事が今も誰かの光になるのかも知れないと思い
ここに再掲いたします
どうか必要な方の元へ真っ直ぐに届きますように。
それにしてもわたし、めっちゃ良いこと書いてるなー!天才かな!!
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父は建築士、母は看護師。
その両親から
何か手に職をつけなさい、と言われて育って
取った資格は、栄養士。
国家資格を取りなさい、と言われたけれど
管理栄養士、にはなれなかった。
まあそもそものやる気も微塵もなかった。
国家資格を取る意味も理由も分からなかった。
自分としては
取る意味の分からない資格を取るために勉強したくはなかったから
資格があろうがなかろうがどうでも良かったけど
親の期待を裏切っ(てしまっ)た罪悪感はとても強かった。
思えばそれがずっとネックになっていたのかなぁ。
何者かにならなければいけない、と
ずっとずっと思いながら社会に出ても
何者かにはなれなくて
親の期待からは結婚することで解き放たれたけど
ただの主婦で良いの?
ただの妻とか母で良いの?
わたしからそれを取ったら何もないよ?
と、わたしも何かにならなくちゃ、
という気持ちはずっとなくならなくて。
だからクリスタルに出会ったとき
これだ!!と思ったのだ。
わたしはこれから「クリスタルセラピスト」を名乗れる!
国家資格とかじゃないけど
わたしにも名乗れるものがある!!と。
だからこの肩書きをどうにかして使いたかった。
「クリスタルセラピストとしてのわたし」を
もっと知って欲しかったし
もっと広めたかったし
何よりクリスタルセラピーはとても楽しかったから
「クリスタルセラピスト」として
どんどん活動したかった。
しかし幸か不幸か海外に住むことになってしまって
思ったようには肩書きを名乗れない。
でも、なんとしてでも、この肩書きを使いたかった。
やっと手に入れた
「わたしはこういう者です!!」を、
誰かに言いたくてしょうがなかった。
だけど、法の壁は高く、考えれば考えるほど煮詰まった。
それでもやりたかったから、やっていたけど
だんだん気が付き始めてもいた。
わたしの進む道は、こういうことじゃないのかもしれない。
ビジネスとか起業とかバリバリ稼ぐとか
わたしがやろうと思っても
その波が来ない、風が吹かない、ということは
これは、わたしの行く道じゃないのかもしれない、と。
やる気が出たり出なかったり
その中でHP作ったりとか色々試してみたけれど
やっぱり「ビジネス」としての追い風は吹いて来ない。
いつか風が吹くだろう、とだけ思って任せていたら
吹いて来た風はやはり「ビジネス」にはなかった。
ずっと願っていた追い風は
「ただの主婦で、妻で、母で、それを取ったらなんにもなくなるわたし」
に吹いてきた。
つまり、
なんにもない、と、おもっていたところにすべてがあった、ということ。
おもしろいね!
まさに灯台下暗し、と言いたいところだけれど
この灯台だって
いろんな経験や学びを経て立てたものだから
あたりまえのようにそこにあったものでは全然なくて
泣いて、もがいて、苦しんで、笑って、
すったもんだして立てた灯台だからこそ
足元にある花の美しさを見つけることができたのだ、とおもう。
だからすべての経験に感謝しているし
わたしの知っている、学んだ範囲のことなら
やって!と言われればいつでもなんでも差し出せる。
だけどいまはもう、
それを中心には生きていかないことにした。
何かをわざわざ名乗らなくても
わたしはわたしでいられるから。
何かがなければわたしじゃない、なんて、
そんなことはないってわかったから。
だからもうあえて自分のことを
「クリスタルセラピスト」とは呼ばない。
セラピーやって、と言われたらセラピストになり
ヒーリングして、と言われたらヒーラーになり
良い石探して、と言われたらバイヤーになり
絵を描いて、と言われれば画家になり
刺し子して、と言われたら黙々と縫うひとになる。
そういうことが、すごくしたい。
肩書きを背負わなくていいとおもったら
(もちろん誰かに強要されたことでは全くないんだけど)
すーーーごく楽になれてしまったし
なんにもないとおもっていたところにすべてがあったなんて
おかしくて嬉しくてしょうがない。
ひとりでニヤニヤできちゃうくらいには。
そういえばこどもの頃の夢は「およめさん」で
結婚して、自分の家庭を築いて、家族で笑い合ってるのが夢だったなあ、
なんてことも思い出し、、
となると、わたしの夢はすべて叶っていたんだったよ。
肩書きなんかなくたって
わたしは本当の本当はひとが大好きで、
たくさん愛したい抱きしめたい気持ちがあることに変わりはなくて
それをいまは表現していきたくて、
出来る基盤もあって、出来るとおもっている。
で、そういう自分が、
とってもいいな、とおもっています。
なので
「わたしはこれです!」ていうものは、
もう、なにもなくなった。
いらなくなっちゃった、ぜんぜん。
何者かになりたいとも
何者かにならなくちゃいけないとも
もうぜんぜん思ってない。
世界を変えたい、変えてやる、とかも、
もともと思ってないけど、ますます思わない。笑
わたしはわたしとして
日々と家族と友人たちと環境に、ありがとう、と言いながら
1日1日暮らしていければ、それだけで何もいらないです。
ゼロに立ち返って世界を見渡せば
眼下に広がるのは
なーーーんにもなくて、彩り豊かな世界だった。
それを心から素晴らしく、美しく、楽しいとおもう。
そういうところに、わたしはたどり着きました。
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