遠祖の霊に会いに行く

日本人は先祖を辿ると
源氏か平氏のどちらかに辿り着くらしい。

祖母に伝え聞くわたしの先祖はちょっと名がある人なので
先祖の名前(と偉業)に感謝をしつつ
Google大先生をフル活用しつつ家系図を辿ってみたら
此度の転勤のおかげで
約1,000年の時を経て始祖の地に辿り着いていたことが判明し
ひとり、鼻息荒く興奮した。
転勤はないに越したことはないけど、
まあ、悪いことばかりでもないな。


さて、それが分かったのならば
ご先祖様にご挨拶に行かねばならない。
行かねばならない、ということはないのだけれど
気分的に「行かねばならない」。

何の身寄りのない
何にも知らない土地に放り出されて呆然としたけれど
此処は「身寄りもない」なんてことは微塵もなくて
何なら「身寄りしかない」、
ド極端な話「身内しかいない」みたいな(言い過ぎ)土地だったこと。
かつて確かにそこにいた先人達に
めちゃくちゃのめちゃくちゃに薄まった血と遺伝子と肉体をもって
お礼をしなければ、と思ったのだ。

彼らがいなければ今をわたしは生きていないし
わたしが今世に受肉しなければ
思春期に片足突っ込んだ
可愛くて時々小憎たらしい娘にだって
会うことは叶わなかったのだから。


というわけで
住んでいる地の利を生かして
先祖詣りという名の寺社巡りをすることにした。

行き先は色々悩んだけれど
まずは此処だと
わたしの(妖怪)アンテナが指示をしたのが、こちら。



デデン!
デデン!
キャー、ご立派〜!!(すごく観光客)

泣く子も黙る天神社・天満宮の総本社。

まあしかし、
勢い良く出発したはいいものの
遠祖も遠祖すぎて実感とかまるで湧かない。
何なら実はこちらは血縁でもない。
しかしご先祖様であることに変わりはない。
この方向音痴で有名なわたくしが
恐ろしくスムーズに来られたことを考えても
きっとお導きがあったに違いない。


そしてご挨拶がどうだとか言いましたけど
ご挨拶云々じゃなくてまずわたしは
受験生の時分に働いた無礼を
お詫びするところから始めなければならないのだ。
いやむしろ、お詫びがしたい、お詫びしかない。
自分の不勉強を棚に上げ
神様なんていないじゃん!て
あの有名な鉛筆とお守りをゴミ箱にぶん投げたことを、
湯島天満宮の前を通るたびに
苦虫を噛み潰したような顔をしていたことを、
20年越しくらいで、
あの時はごめんなさいって言わなきゃならないのだ。


……と、おもっていたのだけれど。

いざ手を合わせたら、
どうでも良くなったっていうか……
うん、どうでも良くなった。
ごめんなさい、しましたけれど。

だけど何となく、
謝られるよりも感謝された方が
神様も嬉しいのではないかしらと(都合良く)感じたし
そしてその感覚は間違っていなかったと思う。

受験の結果のようにその時には分からなくても
後々になって、これで良かったのだ、と思えたら。
泣いて転んで笑って泣いて
そう思えるように生きられたら良いのではないか。

わたしが無礼を働いてからの20数年を
もしも神様が見ていてくださったのだとしたら
謝意を持って参拝したことも、見てくださったと思う。
流れ流れて総本社にて参拝の機会を得られたことには
本当に感謝しかない。
ありがとうございます。




ところでわたしはだいぶご都合主義なので
「スムーズに行けた」とか
「見たいものが見られた」だけで
わあ、わたし、此処にご縁があったのね…!
と思えるハッピー脳を持っている。

今回もご都合主義とハッピー脳が爆発して
宝物殿で念願の太刀を見ることが出来たよ!
写真も撮れたよー!!(刀剣のみ撮映可)

最高…
刀剣鑑賞は何にも分かってないので
「感じる」に徹する作業をする。


写真は撮れなかったけれど
祖母から何度も聞かされていたご先祖の名前がついた宝物を見ることも出来て、
胸がちょっと熱くなった。
ハンカチ片手に涙目でお宝鑑賞してるなんて
ちょっとあぶない人に見えたかもしれない。
しかし幸いなことにほぼほぼ貸切状態だったので
誰もわたしの奇行に気づいていないはずだし、
誰かいたところできっと、気にもされない。
こういうオタクはたくさんいるはずだ。

何かのイベントとのコラボだったようで
ほとんどの展示品に
アニメ?ゲーム?のキャラクターによる解説がついていたのが
分かりやすくてとても良かった。
初心者に優しいコンテンツは栄える。


参拝後は此処まできたら、の有名な生湯葉丼を
相席したマダム達と楽しくお喋りしながらいただいた。
ほとんど並ばずに店内に入れたのだけど
マダム曰く
「こんなに並ばなかったの初めてよ〜!」とのことなので
やはりわたしはこの土地にご縁があったに違いない。
マダムは他にも美味しいお店と
京都の行くべき場所を教えてくださった。
やはりわたしはこの土地に(以下略)



その後、お腹も満たされて帰ろうかな、とバスに乗ったものの
突然思い立って別のお寺行くことに。
そこにもスムーズに行けたけれど、それはまた、別の話。


やっぱりもうちょっと歴史を学ぼうかなと思いながら
Google大先生に手を伸ばすも
脳みそが焼け焦げる匂いがしたので
無理はやめようと誓った先祖詣りだった。

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The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes,but in having new eyes. --- Marcel Proust

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